055 私と例のポスター

フラクタルのACP担当、のぞみです。
もう言い切っちゃう。ACP担当です!めちゃくちゃ興味ある 分野。モノにしていきます!
11月30日は人生会議の日。“いい(11)みと(30)り”はかなり若干とてもちょっと無理があるように思いますけど、まぁ、ここは文句言うところじゃないのでアレなんですけど。
さて。厚生労働省の人生会議のポスターが炎上してるみたいですね。小薮さんのあれ。でもなんか実際に抗議のお手紙来たのって2通なんでしょ?Twitterであーでもない、こーでもないって議論が出るのはいつものことだから、炎上って言うのかな?早く大喜利にならないかな?って思いながら見てます。 目に留まらせることを正解だとするなら正解だし。最適解ではなかったにせよ。
私自身はなんていうか……鈍感なのか共感力が低いのか、あのポスター見ても、割とどーでも良くない?強いて言うなら鼻カヌラよりは 酸素マスクのほうが良かった気がする……。っていうか、(よくわからないけど)『内容云々というよりはマーケティングの問題なのでは……?』と、いう気持ちです。
むしろ『吉本興業の 中のひとが作ったの?!だったらすごいね!スベらない話で有名になった小薮さんのキャラを殺さずに人生会議のことを描写してる!』 とか思うひともいるんじゃないのかな(私とか)
そもそも後から見たひとはなんだって言えるんだよね。ゼロからなにかを作り出すひとへのリスペクトは持ち続けたい。
ただ、あのポスターを見て即『じゃあ人生会議をやろう!』ってならないだろうし、かと言えば人生会議に対する準備性が高まるかと聞かれるとそこも怪しいので、まぁなんか、なんとなくモヤモヤしてることは確かだからこんなの書いてるんだろうね。
そんなに熱心に調べてまで見てないからただの主観だけど、挙げられている批判は、ビジュアル、ターゲット、内容 だよね?
①ビジュアル
 全体的に画面が暗い、明度を上げたら印象も変わる。みたいな。
これに関しては確かに~、と思った。でも題材が人生の最終段階=死に絡んでることだからこれで妥当だと言われればそんな気もする。でも見やすい/見にくいで言えば明るいほうが見やすいかな。
あと小薮さんは元々あーゆー顔だから……。
②ターゲット
人生会議を知らないひとに向けたものなのか、人生会議をもっと実践するように取り組んで欲しいひとに向けたものなのか、本人に向けたものなのか、家族に向けたものなのか、明確にされていなかった、的な?
がんなのか、交通事故なのか、心疾患でも心筋梗塞なのか心不全なのかでも違うだろうし、ついでに 認知機能障害の有無・ 程度でもまた捉えられかたも変わってくるよね。
人生会議は老若男女みんなにやってもらいたい、しかも内容も幅広いものだから、どこを切り取るかでも、盛り込む内容でもしっちゃかめっちゃかになる気持ちはわかる。
結果的に炎上って形になっちゃったけど、多くのひとの目に触れて議論になるの、良いと思う。いいぞもっとやれ。
③内容
『死を連想させる!』って批判があるのは流石日本!!!だと思ってなんならちょっと感動した。うーん…… 死を連想させたいわけではないんだと思うけど、いちおう、“もしも”のときにどうしたいかを 大切なひと、医療介護従事者みんなで話し合おうね~ってはなしだから……日本人死を忌み嫌いすぎで全然そんな話しないから話しておこうね……ってことだから、私個人の意見としてはむしろちょっとは死を連続して欲しい。今のところまだ人間の死亡率は100 %ダゾ……?わたしもおまえもいずれ死ぬゾ……?
『患者、家族に配慮がない』『脅しに見える』もね……、そもそも正直病気や怪我って理不尽なものじゃない?命の危機が迫った時、想いは正しく伝わらないって本当そうだよね。この間教えてもらったけど、約70%のひとが伝えられなくなっちゃうんだってよ。ただそこのコピーよりも背景の文字に目は行くかな。チョケてる(ふざけてる)ように見えるかな。しかし全方位的に配慮をするのって難しいというか無理だと思う。これはターゲットの内容に被るから割愛。
ちなみにこれはただの脅しになるけど、処置に対する希望が明らかになってなかったら基本的にフルコースで治療されることもみんなに知ってもらったら良いのになぁ、と思う。
肋骨折りながら心マするし、たまに前歯折りながら挿管するし、足の付け根から太い管入れて人工心肺まわすよ。循環血流量が足りないと回らないから輸血や輸液を入れ続けることも多いよ。浮腫みで+10kgくらいになって顔が変わるよ。
もちろんこれが蘇生に、ひいては社会復帰につながってくれれば喜んで骨や歯をバッキバキに折るけど(蘇生中のICU看護師はだいたいアドレナリンがドバドバ出てるのでとても力強い)、亡くなってしまって容姿が変わってしまうとなると、流石にちょっと切ないものがある。
後のだいたい葬儀は恙なく終わる。
まだみんななんとなくテンパってて、正常な判断ができてないからだと思う。四十九日過ぎて葬儀屋さんが後壇(納骨まで骨壺を安置しておく祭壇的なもの)片付けにきたときくらいにワッ……とくる。これもなんなら知っておいてもらいたい。
大切なひとが危機的な状況になったときに、遺されるひとに意思決定をマルっと任されてしまう、その責任が重くて潰されないためにも人生会議、ACPはあるわけじゃないですか。
本人にもしものことがあったときに望むケアを受けられるように、自分で自分の望むケアを伝えられなくなったときに誰かが代わりにその意思を伝えられるように。
医療者として、少しでも医療や死を自分と切り離して考えてるひとたちにどんどん考えて実践してもらえるようにしていきたいし、考えを伝えてもらえるように信頼関係を 築いていきたいよね。

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