024 私と3.11

もし、思い出して、辛くなってしまうかたは読まないでください。そんなに辛くなることは、正直わたしは書くことないので書かないと思いますが。

フラクタルのうさぎ小屋担当、のぞみです。
次はもう少し広い部屋に引っ越したい……。

結構これ、あるあるネタだと思うんですけど、 そのときを一緒にしていなかったひとと集まると『東日本大震災のとき、なにしてた?』って話、しないですか?

東日本大震災のとき、なにしてた?
わたしは家にいたよ。

わたしはその日、看護学校の授業?なんとか式?なんだったっけ。とにかく午前中で学校を終えて、家に帰っていました。

テレビ見てたら突然揺れて、パニックで暴れ出したウサギ(キュウさん)を置いて一旦外に出ました。マンションの住人がほぼ外に出てる。取り敢えず揺れが収まって家に入る。キュウさんは自分のケージに入っていたので扉を閉めて、最悪逃げるときにはケージを抱えて逃げられるようにした。

ハハ。仕事中。幸い最寄り駅の近くでの仕事だったので比較的すぐ(と言っても1時間半くらいしてかな)帰ってきた。
ちなみに当時東京電力の検針員をしていました。あとからあんなことになるなんて思ってもいなかった。そりゃそうだな。

光。学校。いつも通りの時間に帰ってきた。

正直そのときテレビがどうだったとか、停電がどうだったとかあんまり覚えてなくて、その日は不安で私たち姉妹はリビングで寝た。ハハは普通に自分の部屋で寝た。
キュウさんはケージから出して欲しいとの意思表示をしてたけど、流石に出せなかった。

しばらくあんまり熟眠できないし、ニュースではとんでもない映像が流れてるのに目が離せなくて、その上ポポポポーンの絨毯爆撃に若干メンタルをやられ、しかも救いらしき救いはない。

あのとき結局なにがわたしを癒したって、ひととの関わりや絆だった気がする。

看護師になろうとしてるひとってやっぱり優しい。看護学校のみんなと会話したりお茶したり、そういうことがなかったら堪えられなかった気がする。

看護学校を卒業してから、色んなバックグラウンドがあるひとと出会った。

その瞬間、病棟でブンブン揺れる人工呼吸器を必死におさまえていたひと、妊婦の先輩を帰すために日準→日って勤務になったひと、CT室から患者さん背負って病棟まで帰ったひと、

千葉の石油コンビナートの爆発の振動を感じたひともいたし、

気仙沼で被災したひともいた。
(この子のおじさんが宮城でタクシーの運転手さんをしてるそうで、たまに幽霊を乗せるらしい)

B’zはC`monって曲を作った。
がんばれとか、元気出してとか、そういう無責任な励ましの言葉をかけない優しさを感じた。久しぶりに、久しぶりのひとを連れてさいたまスーパーアリーナに行って、 ずっと泣いてた。

思い出したくないこともたくさんあるし、たまには思い返してしみじみ感傷に浸りたくなる出来事もある、そんな3.11です。

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