022 私と『いるのはつらいよ』
フラクタルの変性意識担当、のぞみです。
『在宅無限大』で、どうやらうっかり医学書院さんの“シリーズ・ケアをひらく”沼にハマってしまった私。新刊が出るとのことで、これは『在宅無限大』を買った本屋さんに行ってみようと思って、駅に降り立った。この沼は深くて広くて、アツイ。
年末に『在宅無限大』が並んでいたところと全く同じところに全く同じように積まれていたから、思わずちょっと笑ってしまいながら、今回は特に救急だとかICUだとかのコーナーは立ち寄らずにミスドで本を読み始めた。
小説のような、エッセイのような、それでいて学術書?、なんだこれ……なに……?すごい……と思いながら、読み進めていきました。
京大卒の博士号を持った、ハカセが沖縄のデイ“ケア”に、“ケア”ではなくて“セラピー”をしたいと夢と希望を持って就職するところからおはなしが始まるんですけど、個性的なスタッフ、個性的な(ひょっとして精神科あるある?)利用者さんと出会いながら、“する”ではなくて“居る”ことを経て、ケアとセラピーを考察していく、っておはなし。ついでに幕間口上でグサグサ刺しにくる。
帯に大きな字で、大感動のスペクタクル学術書!って書いてあるんですよ。
うーん?これは読みものとしてめちゃくちゃ面白い……でも、小説?エッセイ?な気がする……。学術書……?学術書とはなんぞ……?って思いながら読み進めていったんですけど、まじで学術書でした。オールウェイズそろそろ言い出すんじゃないかって思ってるかと思いますが、エモですよ、エモ。エモ以外のなにものでもないですよ。
正直、小難しいことが書いてある学術書って自分の興味がある、経験がある領域じゃないと全然意味がわからなかったり、目が滑ったりするじゃないですか。まぁ私があんまり頭良くないからなんでしょうけど。
京大卒のハカセ、著者の東畑さんことトンちゃんが関わりを持った事例を取り上げて、えーと……小難しい学術書を引用しているのですが、スッと入ってくる is 尊い。too 有難い……。
(個人的に、中動態、最近ホットなワードだと聞いていましたが、よぉわからんわぁ……と思っていたものが解説されていたのが嬉しかったです)
居るのは、つらい。
確かに、つらい。
精神科の患者さんと接したことがあるのは、看護学校のときの実習が最初で最後だったと思う。
いや、まぁ、精神疾患持ってて精神科系のオクスリをオーバードーズして入院になる患者さんは今現在ガンガンに看てるけどね。点滴じゃばじゃば、胃管から炭ぶち込んで(たまに挿管もしてる)目覚めたら退院ですよ。
言い方悪いのかもですけど、ラクな実習だった。患者さんのADLは自立してるから身体的なケアは全くと言って良いほどしなかった。「今日はお風呂の日ですよ〜」的な声かけをしたかな。「おはようございます〜朝ヒゲ剃りしましたか?」とか。あと精神科の看護師さん優しかったな。行動計画やアセスメントを否定されないのも嬉しかった。これはフラクタルのおぬさんと話をしてるときも思うけど、ほんと精神科の看護師さん優しい。
つらかったのはここでうっかり自分と向き合うことになってしまったこと。私の居る、は、脅かされていた。
精神科実習は私の父親(※アルコール依存症が過ぎた)(※現在はアルコールが原因の認知症で恐らく娘のことを認知できない)が以前入院していた施設で行われました。なぁんかそれも、なんとなく嫌だった。病棟は違ったけど、精神科の看護師さんって全然辞めないイメージだし、父親のこと知ってるひとでもいたら嫌だな。って。よぼよぼのおばぁみたいな看護師さんも働いてたし。CVPPPとかも精神科の授業でやったけど、おばぁどうすんのよ。実は世を忍ぶ仮の姿なのか?
今でもその傾向はあるでしょうけど、今よりもキレたナイフ状態がエグかった私(ここは笑うところです)に対して「アダルトチルドレンでは?」と教員が言い出したのもヤバかった。常識的に考えてヤバイだろ。
なお、我が家はハハもキッチンドランカー(のようなもの)である。
おかげさまで、あまりのショックに超絶ビービー泣きながら(全人格を否定されたような気持ちになった。当時はなんで泣いてるのかわからなかったけど)ACだって言われた〜〜〜って泣きながら帰ったら「否定はできないね!」って言われた。確か500mlの発泡酒を飲んでた気がする。流石!
別に虐待受けたわけじゃねぇし!機能不全家族でもねぇ!エリクソンが言うところの基本的信頼は獲得したもん……超獲たもん……。両親がふたりともアルコールで……あ、うん、アダルトチルドレンの本来の定義は親がアルコール依存症の家庭で育って成人した人?確かに否定できねぇ……。
脱線してましたけど、そんなこんなで実習の1週目で既に若干ココロここに非ずだった私の癒しは患者さんでした。あと景色。海がきれいなところに病院が建ってた。
病棟に行って、挨拶。
指導者さんに行動計画発表して、情報収集。
前日と変化なし。不安で頓服飲んでる夜もあったか。
朝のケアらしいケアも特にない。
バイタル測定。変化なし。
すること、なくなったーーー。
「散歩に行くから一緒に行きませんか?」って患者さんに言わせてしまう不良看護学生だったけど、結局最後まであんまり視線の合うことがなかった患者さんと変化のない日常を一緒に過ごすことができたのって、ひょっとしてそれだけですごいことなのでは?と思った。
そう思ったものの、やっぱり患者さんも思うところはあったんだろうな。看護学生と患者さんの境界は、ケアする側とケアされる側の境界は、結構あやふやで、この本における《真犯人》からの視線を感じて、やや社会性に乏しい精神科患者と看護学生(をしていることに一抹の罪悪感を感じている片親家庭の社会人看護学生)が散歩や体操やトランプに身を寄せ合うのも、必然だったのかもしれない。人生初の七並べは、患者さんに教えてもらってやった。
ただ、いる、だけ、は恐らくできていなかった。
今もきっと。
今駅前のケンタッキーで読書をして、こうやってiPadに向かっているわけなんだけど、ひとりで“居る”ときにも“する”ことをしてる。『居る』はなかなか立ち行かない。
『居るのはつらいよ。』
どうしても、いつも帝釈天で産湯をつかり……のときのBGMが頭をよぎってそれを振り払う作業が一度入ってしまうけど、今年一番の、声に出して読みたい日本語だと思った。次からはオジー自慢のオリオンビールをBGMとして頭によぎらせたい。