016 私とsign

フラクタルの内観担当、のぞみです。

看護師の皆さん、看護学校の授業で、内観とか内省、やりましたよね。他の職種のひともなにかやるのかな?このブログを見てくれてるひとは恐らく医療従事者のひとが多いのではないかと思うけど。

自己理解を他者理解につなげるとか。あとはクラス(グループ)のメンバーに対する自己開示だったり、みたいな内容のこと。心理学とか人間関係論みたいな科目になってくるのかな。
医療看護的な、看護学概論、疾病論みたいな机上の授業と離れられて楽しかった、って感想よく聞くけど、思い返すと結構辛かったのを覚えてます。

看護師になりたいと思った崇高なエピソードもなければ(尊い職業で崇高な理由がないといけないと思ってた)、そもそも思い出そうにも幼少期の記憶が恐ろしいくらいない。トラウマかなにかがあればそれらしく語れたかもしれないけどどうにも目ぼしい出来事もない。

だから内省?内観?って、思い返すと結構避けてきたイメージがあるんですけど。

(こんなブログをやっておきながら……)
2018年、夏だったか秋だったか。

起業家を目指している訪問看護師さん(友だちのナースマン)とラーメンを食べてました。

『のぞみちゃんは、今後、どうしていきたい?』

って聞かれたのね。

どうもこうも、看護師として生きてくんだろうな~夜勤いつまでできるんだろうな~正直50とか60とかになって夜勤やりたくないな~師長主任(管理職)になったら夜勤が減ったりなくなったりするけど魅力は全く感じないな~って、でもまぁ、看護師免許持って働いてるし。今の病院で定年まで働いたら退職金結構な額になるだろうし。ってところまで数瞬の内に思いを巡らして返事に困ってたら、

『オレはめっちゃ物欲強いし、良い服着たい、ブランドもの好きだし、時計も靴も欲しい。もっと周りにみんなを幸せにしたい。両親に親孝行したい。地元も盛り上げられるくらいのビジネスをしたい。プロジェクトのみんな連れて全員で旅行とか楽しそう!サラリーをもらってする仕事には限界があるから、色々考えて今めちゃめちゃ勉強してるんだ』

(え?看護師なのに?)

って、すごいビックリしたの覚えてる。

そっか。看護師免許持ってても、看護師しなくて良いのか。って新しい発見をしたのがその日でした。
あ、ちなみに先に結論をお伝えしておくと、今のところ『よーし!私も起業するぞー!』と言うわけではなくて、自分の思考のクセを内省する糸口を見つけて、それを解きほぐすヒントをもらった記念日のことを書いているだけです。

で、ですね、会って話を聞いたり、おすすめされた本を読んだりするたびに、自分の中に熱い気持ちがあるってことに気が付いた。

ひょっとて私意外と上昇志向もあるかもしれない……?!
2019年1月10日。

起業家を目指している訪問看護師さん(友だちのナースマン)とラーメンを食べてました。

兄弟子のかたに時間を作って頂いたって。

会って話すと色んなことがクリアに、明確に、 絡まった糸を解きほぐすようになるって言ってて。

眼光の鋭い怖そうなひとが来たらどうしよう……、って思ってたら、めちゃくちゃ穏やか~そうな、優しそう~な、お兄さんが来ました。同い年だって。

友だちがかい摘まんで、これまで私がどういうことをしてきたかとか、話の中から引き出してくれた私の内に合った願望とか、そう言うことを伝えてくれました。

 

「のぞみちゃんは安定志向なんだね~」

ところで、うちは母子家庭です。

父親が……えーと、 なんて言うか、労働とか家庭生活とか放棄するタイプの想像を絶するアル中だったそうで。

よって、幼い頃から『サラリーマン=正義』『手に職=正義』『ハハに迷惑をかけない=正義』みたいな刷り込み?と一緒に育ってきたわけです。
(ちなみに別に酒=悪だとは思ってないです)
(ただ単に飲めないだけで)
(ちなみにハハもキッチンドランカーのようなもんです)

高校を卒業するのと同時に葬儀社に勤めた。
→死なないひとはいないので、絶対に食いっぱぐれのない仕事だと思った。

葬儀社を辞めて、病院の厨房に勤めた。
→食事しないひともいないので、 絶対に食いっぱぐれないと思った。ついでに調理師免許でも取っておけば良いかなと思った。

病院の厨房を辞めて、看護学校に入った。
→これぞ専門職。奨学金借りれたら迷惑かけることもなさそう。自分が目指せるレベルで高給だし、女性がひとりで生きていく上で間違いのない仕事だと思った。

全部自分で思考して、選択して、その道に進んできたものの、やっぱり長年染み付いて染み込んだ自分すり込みが行動させたものだって、こうやって振り返ってみるとわかる気がします。
(あ、でも、全然良くてね。正解とか間違いとか なくて、考え方のひとつなんだけど)
今の病院を選んだのは、実家が近い、母体が超大きい、 定年まで勤めたら退職金の額が大きいことが明確だった、三次救急もうやりたくない、みたいな理由が大きい。
要するに安定志向だ。
楽をしたい、って気持ちも、もちろんありました。

「師匠から言われたのはね、仕事を目的にしない。目的があって、それに到達するために仕事をする。ってこと」

そして、
「だから、仕事、楽しいんだ」と。
今のところ、私にとって仕事ってお金を稼ぐための手段でしかないって気が付いてハッとした。もちろんそれでも良い、それも正解だとも思うんだけどね。
果たして(…まぁもう辞めるとは師長に伝えてはいますけど)例えば今の組織の中にいて、 主任に。師長に。もっと言うと部長になって。めちゃくちゃ収入が増えるわけでもなければ、 余暇時間が増えるわけでもない。なんなら余計に束縛されて自由度が下がる。 毎日そばで観察してる、師長や主任を見てればわかる。
(ところでそろそろうちの主任さん心労で倒れそうです)

どうやらサラリーマン(従業員クワドランド、って言う概念らしいです)っていうのはそもそもそういうひとのことを指すらしいです。

「 こころからのサインを見逃さないようにすることが大切かもね。今までモヤモヤしたこととか、嬉しかったこととか」

そこで気が付いたことがあったんですよね。
なんで葬儀屋さんを辞めたかってところなんですけど。
“朝から晩まで遊ばないで働いて、一般常識も知らない、葬儀屋しか出来ないひとになっちゃう”

それがめちゃくちゃ、怖かった。

今も『井の中の蛙になってしまう可能性があること』が、すごく嫌で、外の世界を知りたいとか外の世界を広げたいって欲が強い。思わず目から鱗。

今後の人生のキーワードを発見した。

ひょっとしたら、今までのすり込みを脱したら、とんでもない脱皮が可能なのではないかと武者震いした。
そう言えば占いに行くたびに『あなたはひとの上に立つひと』『社長の星を持ってる』って言われてたっけ。
言葉も、想いも、思考も、全部自由。
サインを見ただろう
Special thanks:ぐっさんときっぺいさん
(きっぺいさんが好きって言ってたミスチルのSignで締めたかったけど、B’zの眩しいサインになっちゃった……)

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