30.アウトロダクションのイントロダクション
基本的にずっと、本当にずぅーっと、うっすら死にたいと思いながら生きてきたような気がする。
どうやら自分はあんまり『普通』じゃないと薄々感付いていたけど、それを認めることが出来なかった。
普通に友だちを作って、普通に遊んで、普通に学校に行って、普通に就職して、普通に恋人を作って、普通にデートして、普通に結婚をして、普通に子どもを産んで、普通に親を看取って、普通に生活を営んで普通に死にたい。ホントのことをいうと就職の前くらいに死のうと思った。
普通に対する執着心がそうさせるのか、今のところ、どれも上手く行った試しがない。
上手く行った試しがない、ということは、ちゃんと今まで試してきたたいうことで。
極力マジョリティに与したいと思って、極力ネアカの、陽キャの近くにいた。明るくて楽しそうだった。
仲間外れにはされなかったけど、ただ、“ここじゃない”って気持ちを抱えながらも一緒にいた。たぶんわたしの居場所はここじゃない。普通に学校に行っていたと思いきや仲が良かった女子サッカー部の面々に恋人が既婚者だとカミングアウトしたところ、体育会系の曲がったことが大嫌いな彼女らからは無視されるに至った。余波はクラス全体に広がって、おかげで体育の授業の『○人一組になってー!』でひとりハブられることになる。それが苦痛で体育の授業に出なくなった。1年生からほとんど体育の授業は受けなかった。そんなんで卒業させてもらえて良かった。まぁ実技の単位は足りなかったので筆記をがんばるに至った。卒業後、就職した会社は葬儀屋だ。あんまり18の女子が選ぶ職業ではない。
なにをもって『普通』は『普通』だと判断されるのか、それすらわからない状態で、誰かの基準に乗っかって生きていこうとしていた。軸がブレていたから辛かったんだと思う。とはいえ、まだ自分が何者なのかはよくわかっていない。出来れば誰かの目を通して見えている自分の姿を自分にしたい。カメレオンみたいに。
どう生きていくかとどう死ぬかはイコールだと思う。
そもそも常にうっすら死にたいので、正直いうとよく生きることはあまり主題に置いてはいないけど、それでもよく死にたいとは思っている。
生活(生存活動)より、終活(終わりのための活動)をしていこうかと思い付いた。そういえば私、元葬儀屋・現看護師・終末期ケア専門士・終活ライフケアプランナーだった。普通のひとよりは、よく死ねるように考えることができるかもしれない。だったら考えていこうと思いました。
(1.アウトロダクションのイントロダクション)