27.昔からある場所

めぐみ在宅クリニック/エンドオブライフ・ケア協会共催の勉強会に参加した。今回のテーマ、『グリーフ』の勉強会は、3回のシリーズものとして開催されている。

第1回目は、なぜ大切な人を失うと悲しくなるのでしょう?という小テーマが付けられていた。

第1回目では、悲嘆の場でのNGワードと、「あなたの気持ち、わかります」という言葉についてのワークを行なった。ついつい励ましの言葉をかけたくなる場で、なにも言わずにただ自分の気持ちを聴いてもらうことがケアにつながっていることを身をもって体感した。

それ以前も毎月、ZOOMでの勉強会を開催しているとの通知はスマホに届いていたが、テーマへの興味よりも自宅でZOOMを開く煩わしさのほうが勝っていたんだと思う。テーマを覚えていないのでなんとも言えないけど。

グリーフが身近なテーマかといわれると、少し難しい。しかし誰か・なにかとの別れの場面は、30何年普通に生きていれば何度かは経験する。悲しい気持ちもしっかり、おぼえている。唯一自分が、そして誰もが当事者になれるテーマなのかもしれない。そういった経緯も参加の動機になる。

また、訪問看護師として、よく生きること、よく死ぬことを支えるその先にグリーフが待っていることがある……、とかっこよくいってみたい気もするけれど、正直にいうと、今の勤め先がまだ24時間対応をしていない=お看取りにふれる機会が減っているので、勘を取り戻したいとか忘れないようにしたいとかそういう意味合いも強い。

コロナ禍になる以前、エンドオブライフ・ケア協会の援助者養成基礎講座という2日間の研修に参加したことがある。講師であるめぐみ在宅クリニックの小澤竹俊先生の場の作りかた、喋りかたやBGMのセレクトも心がこもっていて温かい感じがしていた。こんな医師に看取られたら、さぞや安心だろう。なんなら私も看取ってもらいたい。

シリーズ第1回目では、講義を聞くだけではなくグループワークで参加もする初めてのZOOMでの勉強会だった。どうなることかと思っていたが、画面越しでも相変わらず言葉に乗っている情感がありありと伝わってきて安心した。

シリーズの第2回目は、『涙』と『思慕』が取り上げられた。

 

『あなたの人生で、一番憶えている涙とは?』を語るという「涙」についてのワークが、ファシリテーターを含めて4人1組で行われた。はじめましての自己紹介をする。住んでる地域も、年齢も、職業もみんなバラバラ。

 

プライバシーや秘密は守られること、話したくないことは話さなくていい、という前提で始まったワークで、ひとりずつ話し始める。しかし全員「一番の出来事は、ちょっとここでは話せないんですけど」との前置きがあった。

それでもポツリポツリと、ひとりずつ、悲しかった出来事や悔しかった出来事を語っていく。みんな、色々な出来事で涙を流してきていた。

グリーフについての勉強会で想起される涙は、死別の悲しみや苦しみを大きく思い起こす。

誰ひとりとして、身近なひととの死別の話はしなかった。出来なかったんだと思う。

きっと『一番』は、大切にしまってある想いだ。思い出したくないこともあるだろう。出会って5分足らずのひとと語り合うテーマにしては、重い。

なにを話そう。そもそも私にとって『一番』の出来事はなんだろう。

記憶のすき間から色んな悲しみのシーン比較してみる。思い出される場面がゆらゆら揺れるのは、いつかの涙の表面張力のようだった。何番、と明確な順位付けをしていいものなのかも、少し悩む。

祖父母が亡くなったときよりもうさぎが亡くなったときのほうが、正直辛かったしたくさん泣いた。両親の別居や離婚より、そのとき飼っていた犬と離ればなれになることのほうが悲しかった。それより失恋なのかな、やっぱり。

 

一番については話せそうにない。

もし失恋が一番だったら、この場(エンドオブライフ・ケアの勉強会)で話すのも、なんだか申し訳ない。決まりが悪い感じもする。それにやはり私自身が少しピンときてないというのも大きいかもしれない。

 

一番最近泣いた話をさせてもらうことにした。最近も最近、昨日泣いた。First Kitchenでポテトをつまみながら大号泣してしまっていたんだから。

 

TwitterでTLを眺めていたときにRTで回ってきた漫画「海が走るエンドロール」というお話。たまたまその日がコミックス第1巻の発売日だったようで、1話目が連ツイで流れてきていた。

ネタバレにならない程度に1話のあらすじを少し説明すると、

夫に先立たれた女性が、数十年ぶりに入った映画館で映像制作課程の美大生と出会う。ひょんなことから美大生にビデオデッキの修理を依頼した女性は、直してもらったビデオデッキでビデオを観ながら、亡き夫のことを思慕する。美大生は帰り際に、映画館で映画を観ている最中の女性の仕草に、女性ですら気が付いていなかった気持ちを言い当てる。

って感じだろうか。

 

気持ちを言い当てるシーンで、女性の足元を波がさらっていきそうになる。

いつの間にか、私は涙が止まらなくなっていた。

なんだかそのシーンのきれいさだとか、女性の衝撃だとか、映画を観ながら夫のことを思い起こすその気持ちだとか、そういうものに心を揺さぶられてしまったんだな、と、思う。寄せては返す、海や波のモチーフが好きだ。

普通、ファストフード店では泣かないと思う。

普通、人前ではあまり泣かないほうが良いらしい。

頭ではわかっているんだけど、涙腺がついていけた試しがない。

印象的なシーンがある。

女性は修理してもらったビデオデッキで、美大生と一緒に映画を観る。夫がいつも座っていた定位置に美大生は座っている。重なった面影に噛み締めるような心の声が、まるでポッカリ空いた喪失の穴に反響しているように見えた。

『でも もうあなた この世界のどこにも 本当にいないのね』

 

女性は涙を流す。グリーフじゃん。深い悲しみに釣られるように私も泣いてしまっていた。

自分が泣いた情景を思い出して、話しながらまた少し泣きそうになってしまった。鼻をすすりながら『海が走るエンドロール』の話をして、ファシリテーターが引き取った。

誰も傷つけないように、誰も傷つかないようにと『一番』はしまったまま行われたワークだったが、ひとりが話すと誰かがコメントを返して話が膨らんでいく。

ファシリテーターがグループの男性に「例えばご両親から、男の子だから泣いちゃダメ、のように言われたことはありますか?」との質問があった。特にそのように言われたことはないとの返答だったと思う。私はその会話を耳にしながら、自分の母親を思い出していた。

 

母親は、よく泣くひとだった。

御涙頂戴系の映画、小説、ドラマでは漏れなく泣いていた。

間近で見ていたら「恥ずかしい」と思うことがよくあった。良い表現をすると、感情豊かなひとなんだろうと思う。私はドン引きしていたが。母親の泣く姿を見ていると、泣けなくなる。1つの場で、『泣く権利』があるのはひとりだけかもしれない。

 

結局自分もよく泣くひとになった。

母は、私が感情を表現することを否定したことは一度もなかった。なにかを抑圧された記憶もない。そんな経緯も影響しているのかもしれない。ただの遺伝かもしれないけれど。

「涙」についてのワークの後は、短い講義があった。テーマは「思慕」。この後のグループワークのお題にもなることも伝えられた。

グループワークをする前に、『Hello,Again〜昔からある場所〜』が流された。

言わんとしてることはとてもよくわかる。この曲は、確かに、思慕だ。

You Tubeから引っぱってきたであろうPVにはJUJUの文字。しかもBallad Ver.ときた。

 

泣かす気満々じゃねーか。

 

My Little Loverだったら泣かないけど、JUJUなら泣くかもしれない

 

PVは男性が妻を偲んで海を訪れるシーンから始まる。

江ノ電の鎌倉高校前駅だ。坂道。紫陽花。慣れ親しんだ景色に少し嬉しくなる。

脇を通り過ぎる学生たちに以前の自分たちを重ねて、想い、振り返る。

海岸。砂浜。歌詞の通り、記憶の中で若かった妻と出会う。その姿をファインダーに収めようとカメラを構えた男性も、若返っていた。

学生時代、結婚式、出産と思い出の写真は増えていくが、病室で酸素マスクをする妻にカメラを構え、泣き崩れる。

ついさっき話をしたばかりの『海が走るエンドロール』にも、まさしくリンクする内容だと感じた。ああ、またグリーフだ。また海だ。

寄せては返す、海や波のモチーフが好きだなって思って、泣く。

不安定にゆらゆら揺れるものに心奪われてしまう。

誰かが誰かを想う、そういう場面が好きなんだと思う。

 

『君は少し泣いた? あの時見えなかった』

 

少しどころじゃない。マスカラ全部落ちた。

先ほど行われた『涙』のワークと同じメンバーにわかれて、同じように『思慕』についてグループワークをする。

 

『思慕は今ここにはない、なにか大切な人やものを愛おしむ気持ちです。大切な誰かについて一番、憶えていることはどんなことでしょうか?』

このグループワークで印象的だったのは、つい数十分前に「一番の出来事は、ここでは話せないんですけど」と言っていたメンバーが、少し躊躇いながら話し始めた思慕の想いを向けた相手だった。そうとは明確に口にしなかったけれど、『あなたの人生で、一番憶えている涙』を流した誰かへの想いが向けられているようだった。

なにかあると父親だったひとのことを想起するのは、結構しんどいからやめたい。そろそろネタにしすぎて、自分でも食傷気味になってる感があることは否めない。

 

父親だったひとは、お酒を飲んで母に暴力を振るうようなひとだった。らしい。私自身はその場面に遭遇したことがない。未だに記憶に残っているのは、知的でおおらかな姿だ。大人になった今考えてみると、お勉強だけが出来て社会生活を営むのは不得手なひとだったんだと思う。

アルコール依存症で仕事にもいけなくなり、結局アルコール多飲が原因でもう随分と前から認知症になっている。若年性の。アルコール性の。と言い続けていたけど、もう分類上は高齢者になっているので今後どう言っていこうか。

 

小学生の頃、たぶん2週間に1回くらいのペースで、父親と面会をしていた。

離婚した子どもの親あるあるのアレだ。面会交流。

 

ひょっとすると、『思慕』とだけ言われていたら、ピンと来なかったかもしれない。でもつい今しがたPVで流れた景色、江ノ電と、七里ヶ浜から腰越の海で思い起こされた景色と、音楽があった。

父親の家は鎌倉駅の近くにあって、私の自宅は藤沢駅の方面にあった。

土曜日だっただろうか。17時頃、海沿いの134号線を、父親の家から自宅まで、車で送ってもらう。30分ほどの距離。海を見るのが好きで、今でもこの道が大好きだ。

流れるラジオからは、クラプトンのTears in heaven。FM横浜以外の放送局にチューニングが合っていたことはない。アコースティックギターのイントロが、切ない。その当時、英語はなにを言っているのか全くわからなかったが、きっと淋しい曲なんだろうと思った。

夏が終わりかけているのを、傾く太陽で感じる。同じ道を走るのに、2週間前は1時間近くかかっていたはずだ。夏恒例の渋滞の時期が終わるのを少し淋しく感じていたのは、もっと海を見ていたいという気持ちか、気温の低下か、来るのが速くなった夜か、父親とのバイバイだったかはわからない。

夕陽で海がオレンジに染まる。父親の顔もオレンジだった。助手席から見ていたのは海だけじゃなかったと気付く。多少思い出補正もかかっていると思う。たぶん父親は飲酒運転をしていた。

 

私の父親だったひとを愛おしむ気持ちは否定したいけれど、もう2度と戻ってこない奇跡みたいな美しいシーンを思慕して、泣いた。

海が好きだ。

私が死んだら、海に撒いて欲しい。

今回の勉強会に参加して、生まれて初めてそう思った。

海は身近だった。生まれたときからそこにあった。きっと私が死ぬときもそこにあるんだと思う。揺らめく波が、太陽の光を反射して輝く。夕陽に染まる。月を浮かべる。

当たり前のように海のある街で生まれて育ったから、海が好きになること、それはもう当然の、宿命みたいなものだとして生きてきた。こんなに深く強い思慕があるとも気が付かず。

私が死んだら、この想いごと海に撒いて還して欲しい。

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