22.ケアの本質と碇ゲンドウと
※この投稿にはシン・エヴァンゲリオンのネタバレを含みます。たぶん。
シン・エヴァ観た?わたしはたまたま有休もらってたところが公開日の翌日だったかその次の日だったかで、観てきた。上映時間長いからと思って水分摂取控えて行ったところ、まぁ脱水で途中からすごく頭から痛くなったよね。みんな気を付けような。
ところで、エヴァンゲリオンってシンジくんが主人公だとばかり思ってたら、今回新劇場版を観て、あ、ゲンドウが主人公なのか。って思った。今回カヲルくんの役どころも色んな考察を深めてる印象が多いです。
序、破の主題歌『Beautiful World』も、Qの主題歌『桜流し』も、今回のシンの主題歌『One Last Kiss』も、全部ぜんぶゲンドウからユイへのメッセージだと思えてくる不思議。
もしも願い一つだけ叶うなら 君の側で眠らせて
言いたい事なんかない ただもう一度会いたい
もし今の私を見れたならどう思うでしょう あなた無しで生きてる私を
もう二度と会えない なんて信じられない
初めてあなたを見た 動き出した歯車 止められない喪失の予感
誰かを求めることは 即ち傷つくことだった
そんな妻大好きオジサンことゲンドウ(※赤木母子にしたことを私は忘れない)が、救われる方法は“ケアをする”ことだったのかな。と少し思った。死んだ妻に会えても、きっと救われることはなかった。
もちろん全人類いっぺん全部終わらせようオジサンことゲンドウ(※もちろんシンジくんにしたことを私は忘れない)が、まぁ私は看護師なので診断は出来ませんが、病的な状態であってヤベェやつで、“ケアをされる”ことが可及的速やかに必要な精神状態であることは明らかだと思うんですけど、ここは敢えての“ケアをする”だと、メイヤロフの『ケアの本質』を読んでて思った。
ところで。
いちおう死者蘇生はタブーで、あまり褒められた行為ではないわけです。
それが大切なひとであればあるほど……、まぁ大切だからタブーを犯すんでしょうけど。失敗率は高いような気がします。釘バットとか知らん。
錬金術師が人間の体組成分の質量があるエレメンツを準備しても母親は還ってこなかったわけだし、ネクロマンサーが遺骨を介して妻の姿を再現することはできても意思疎通は図れなかったわけだし、っていうかそもそも黄泉の国まで死んだ妻を迎えに行ったものの結局腐乱した姿を見て逃げ帰ってきたのは神なわけで、神ですら失敗してるケースにあんまり一般人が踏み込んで良いわけない。
だからたぶん、クローン……、じゃないんだよね。ユイの肉体のコピー=レイを作るに留まって、人類補完計画を自分の主導下で行うことでもう一度妻に会うこと、一体化することを目的に、自分の息子も組織も世界も全部終わらせよう(なお本人は新たなスタートだと思っている模様。ニアリーイコール人類滅亡だが……)としていたんだろうね。
個人的にはゲンドウ(……も、冬月先生もですね)ユイとの再会叶わず補完されて良かったと思う。そんな方法で救われるんじゃねぇ。
さて強引に『ケアの本質』に戻ろうかなと思います。急な舵取りで自分でも振り落とされそう。
旧劇場版で赤い海にシンジくんとアスカがふたりきりのこされたのは、ふたりが他者を望んだからですよね。
自分以外の誰かを望むってことは、気遣い、思いやり、心強さを生むのと同時に気遣わしさ、気がかり、軋轢を生むってことで、いずれにせよケアが生まれてしまうものだと思いました。
ハイ、じゃあ13ページ開いてください。
序文の一番はじめのはじめです。
『一人の人格をケアするとは、最も深い意味で、その人が成長すること、自己実現することをたすけることである。たとえば、わが子をケアする父親を考えてみよう。彼はその子を、その子自身が本来持っている権利において存在するものと認め、成長しようと努力している存在として尊重する。彼はその子にとって自分が必要であると感じているし、その子の成長したいという欲求に彼がこたえることによって、その子が成長するのを助けるのである。ケアすることは、自分の種々の欲求を満たすために、他人の存在を単に利用するのとは正反対のことである。』
……ゲンドウっっっ!!!
聞いてるかゲンドウ!!!特に漫画版のゲンドウ!!!!!
臆病なひとはケアをするってことに対して、少し不向きだと、私は考えました。ケアワーカーはみんな強いよ、本当に。
自分自身を差し出せる強さとか、相手の世界に没入できる人間味のある営みを、ケアは必要としてる。向き合うことから逃げないことは、少し、苛烈だと思う。
だからこそゲンドウに必要だったのは、“ケアをする”だと、信じたい。
他者へのケアと同時に、自分自身に対するケアについても、もちろん書かれている。書かれているんだけど、もうはじめからあまりにもゲンドウの影がチラつくから、途中から「あれ?ケアの本質ってセカイ系だったっけ?」って思いながら読んでるのね。
ゲンドウはシンジくんと向き合うことから逃げるべきじゃなかったし、養育費を親戚のひとに振り込む以外にもできることはあったと思う。そうじゃなくても、せめてあの殺風景なデスクに観葉植物でも熱帯魚でも、最悪AIBOでも置いて世話でもしてたらまた少し、人類滅亡(※結果論として)からは遠かったんじゃないかなと思った。
ケアをするためには、その対象がいると同時に、自分がその場にいることを強く認識しないといけない。誰かのケアをする自分と、対象との相互循環的な作用であることをちゃんと見つめなくちゃいけない。
ゲンドウが救われるためにはそういう営みが必要なんじゃないかなと思った。
とはいえユイ(優秀な科学者、研究者)が生きてたら、誰とは言わないが、息子に嫉妬してくる旦那や、忙しさを理由にワンオペ育児押しつけてくる旦那や、男ってだけで妊娠出産育児のブランクなく仕事を続けられる旦那の愚痴とか言ってると思うよ、私は。