20.エクレアと喝采
柔らかいものが好き。あたたかいものが好き。
例えばねことか、うさぎとか、そういう確かな体温を持ったちいさい命だったり、そうじゃなければ自分の熱が移った布団だったり、クッションだったり。そういうものが近くにあると、なんだか落ち着く。37℃くらいの、ふわふわ。不感温度のお風呂には何時間だって浸かっていられる。
朝、目を覚ますとLINEの通知が来ていた。
『◯◯のこと、聞いた?』
その前の晩、YouTubeMusicで宮本浩次(エレファントカシマシ)のアルバムを聴きながらベッドに入った。特に理由もなくて、本当にたまたまで、たまたま、ちあきなおみの『喝采』のカバーを最後にして停止、そしてラベンダーの香りの蒸気でホットアイマスクをして早めに寝た。安眠だったと思う。
で、6時前に起きて、LINEを開く。
『◯◯のこと、聞いた?』
って字面を見て真っ先に頭を過ったのは
(……訃報?)
だった。なんの根拠もない。いやいや、喝采に引きずられすぎwwwって、自分の空想に草を生やして、二度寝することにした。
いつものように幕が開き
恋の歌うたうわたしに
届いた報らせは
黒いふちどりがありました
あーあ、コロナだ。きっとコロナだろうな。病院で初の感染者とかになっちゃって、こんな1年も前に病院辞めたわたしの元にもわざわざ連絡が来たというか、噂話が回ってきたんだな、色んな意味で可哀想に。家も近いからポカリかなんか、玄関に差し入れしに行こうかな。あとは?ウィダーとか?でも絶対軽症だ。重症になるはずがない。熱はあるのかな?呼吸器症状は?大丈夫かな。まぁ、もう少し常識的な時間になったらLINEしてみよう。っていうか、その前にLINEの返信もしなくちゃな。
そんなことを思いながら、冷えきったアイマスクをもう一回した。光を遮ると眠りやすい。7時過ぎにアラームで起きて『聞いてないですー!どうしたんですか?』って、返信をしたところ、すぐに『亡くなったんだよ』って返事がきた。
たまに、バカみたいに、予言レベルで勘が冴えてるときがある。
ただしいつも事が起こって、答え合わせが終わってから線が繋がるから、わたしの存在だけが少しだけ取り残されたような感覚になる。わたし以外のものが、少しだけ早いスピードで進んでいる。
子どものころ、17時のチャイムが街中に流れて、遊んでた公園でみんなでバイバイして、夕陽のオレンジが紫とも紺とも黒ともつかない色に溶けていく、変わっていく空を見ながら家に帰っていすあのときの淋しさに似た感覚。
亡くなった。
死んだ。
意味はわかるのにわからない。
言葉がすり抜ける。
指先が冷たくて感覚がない。少しも悲しくない。なんだったらなにも感じない。なにを感じて良いのかわからないというのが正しいような。きっとストレス反応だろうな。逆に怖い。返信もできずに取り敢えずいつも通り仕事にいく。足も感覚が鈍いから、アクセルはもちろんブレーキも少し遅れる。ウインカーも。いつもの道を、曲がり角2回間違えて訪問に行った。
そのひととは、よく仕事の帰りに一緒にご飯を食べに行った。
わたしを含めてそのメンバーは、性的倒錯……、(実は厳密にいうと倒錯してたのはわたしだけなんだけど……)マイノリティ側の人間だったから、秘密を持ち寄って、分かち合うような関係性だった。肉をつつきながら肉欲の話をよくしていた。生肉掴んだ箸で取り皿に肉を入れないで欲しかった。結局言えないままだった。
わたしの看護師人生でいちばんヤバい夜勤で共に闘った。ご飯にも行ったし、よくカラオケにも行った。夜勤中に一緒にスクワットをした。合同トレーニングもした。岩盤浴でしゃべってて怒られた。旅行も、少なくない回数行った。DQNの車のミラーのところによくぶら下がってるアレのせいでめちゃくちゃ車酔いした。
わたしにとっては大事な、大切な、愛しい、かけがえのないひとだったと思う。
筋トレを始めたのもプロテインを飲み始めたのもヤバいTシャツ屋さんを聴いたのも岡崎体育を聴いたのも、ぜんぶ、そのひとがきっかけだった。
凪いでいるのかザワついているのか全くわからない気持ちのまま取り敢えず先輩へのLINEを返さなくてはいけないので『すいません、意味がわかりません』って返信をして、トーク画面を少しスクロールしたらいつも通り笑ってる横顔のアイコンが目に入った。
おつおつ
ダイヤモンド地下街ってどこ?
w
ジョイナスだよ!相鉄交番前で待ってるね!
さいごのLINEは複数人で横浜駅で待ち合わせしたときに、待ち合わせ場所がわからない、って、そんな内容だった。
ちなみにダイヤモンド地下街って名前は5年くらい前になくなってる。待ち合わせ場所に指定されて、理解できてたのはわたしだけだったようだ
。わたしが在宅に転職してからも、何度か飲みに行った。
これ、グリーフか。
グリーフ。
悲嘆、深い悲しみ。
死別の悲しみ。
とはいえご両親のほうがきっと悲しい。今一緒に働いている仲間のほうがきっと悲しい。悲しみに多寡もないし優劣もないけど、まだ悲しいかどうかもわかっていないわたしには、少し距離を置かれているもののように感じた。
たぶんわたしはわたしのケアをすることが必要だと思う。
なんとなく寝れないのは結構いつものこと、なんとなく食べれないのはそもそもダイエット中だからまぁいいか。
まぁ全然良くないんですけど。
取り敢えずパニックを起こした心やからだの動きは、なんとなくTwitter書き続けていた。からだの症状がなくなったら、中途覚醒や悪夢がひどかった。
リプライをしてくれたり、DMくれたり、通話してくれたり、LINEしてくれたりと、それとなく気にかけてくれて、優しい言葉をたくさんかけてもらった。ケアをしてもらったと思う。助かった。みんなありがとう。大好き。
訃報を聞いてから結局全然実感がわかなくて、先輩、病棟のみんなが『悲しい』『泣いた』ってグループLINEに書き込んでいるのを眺めるしかなかったわけだけど、その次の日にコンビニでエクレアを買って食べた。自宅の近くのローソンだった。ファミマで最近エクレアは見かけない。
岡崎体育の『エクレア』を聴きながら、エクレア食べたらなんだかやっと少し泣けた。泣けて、安心した。
いい曲はいい人と共に
いい曲はいい人と共に
いい曲といい歌はいい人といい場所で
いい曲はいい人と共に
いい人を亡くした。
優しくて、まぁたまにせん妄の患者さんと真正面からケンカしてたけど、物腰が柔らかくていつもあたたかく接してくれた。
わたしはこれからも思い出と共に生きていこうと思う。
さよなら。ありがとう。大好きです。