17.つらいって泣いた
今の勤務先以外の訪問看護ステーションで働いたことがないのでこれが普通なのか変(というかマイノリティというか)なのかわからないのですが、弊ステーションでは1件目の訪問先へ自宅から直行しています。ものの本を読むと、ステーションに集合して朝礼やカンファレンス、行動計画発表などをしてから訪問に出かけているステーションが多いのかな? と感じます。特にこれといって困ったこともなく勤務することができています。
訪問車を貸与してもらっている&自宅近くに駐車場を借りてもらっているので、自宅から利用者さん宅へ直行。車の中に必要物品もある程度積み込んでいるし、利用者さんや訪問順などの情報が入った電子カルテはiPad(これも貸与)
逆に、昼食は(余程次の訪問との兼ね合いで戻り時間が取れないときなどを除き)基本的に事業所に戻るルールで、訪問終了後はカンファレンス、申し送りなどの時間を設けていました。
が、しかし。
新型コロナウイルス感染拡大に伴い、なるべく事業所には戻らないようにとの通達が本社からありました。直行直帰、昼食は自宅や出来なければ極力社用車の車内で、申し送りはカルテのトピックスに記載、カンファレンスは毎日ではなく定期的にテーマを決めてZOOMで開催。このような感じ。
はじめは良かったと思う。訪問終了して事業所に戻って記録、定時まで特にやることがなくても残って、タイムカード(のアプリ)を押して帰宅。その工程がなくなったので、帰宅時間は格段に速くなった。1時間~1時間半程度早く自宅に到着している。定時(退勤)までの時間は自宅待機とのことだが、もちろん自宅なのでYouTubeを見ながら記録をしたり、記録が終わったら特にやることもないので社用携帯だけ手元に持って、洗濯機回したり夕ご飯作ったり。自由だなぁ、楽だなぁ、と思って喜んでいた。拘束時間が短いと精神的にも身体的にも楽だった。
必要があればもちろん電話でメールで、管理者さんを含め他のスタッフと、やりとりはする。私は訪問範囲と自宅が少し離れていることもあって、昼食は事業所で食べることが多かった。事業所にいると消耗品を取りに来たスタッフと「久しぶり」なんていって飛沫が飛ばないようにマスクをしたまま小声でひっそりこっそり会話が弾んだし、書類などの締め日には全員集合して、無言で実績の確認をしたりレセプトのチェックで顔を合わせていた。
会社としての意図もわかる。
ひとりでも新型コロナウイルスの感染者を出してしまう、濃厚接触者を出してしまうと、元々少人数で機能している訪問看護ステーションはそのまま閉鎖しなければいけない状況に追い込まれてしまう。利用者さん、関係各所にも迷惑がかかってしまう。そんな事態は避けなくちゃいけない。理解できるし、十分賛同できると思う。
まさか自分の気持ちに支障が出るなんて思わなかったわけで。
ちょうど細かいルールが決まって直行直帰の体勢がしっかり根付いてきたくらいのタイミングで、ターミナルの利用者さんが増えた。
なんとなくこれも予想というか理解の範囲内で、新型コロナウイルスの影響で病院でご家族の面会が出来ない中、自宅に帰りたい/自宅で看取りたいって利用者さん、ご家族が増えるのも当然のことだと思う。
我々の直行直帰みたいなシステム変更と、話の本筋は似通っていると考える。
そしてその頃ちょうど私も、訪問看護に慣れ、経験させてもらえることが増え、ターミナルの利用者さんのお看取り(病状観察や訪問医との連携、意思決定支援~エンゼルケア、グリーフケアなどなど)をさせてもらうことが増えた。
増えたのは、いい。
職場内で認めてもらえた気がして嬉しかったし、自分でもターミナルケアがやりたいと思っていたので、なりたい自分の姿に近付けた気がして達成感があった。
でも流石に、1日5件の訪問中3件がターミナルの利用者さんは若干やりすぎではないか……。とは思ってたわけです。ターミナルの訪問のあとにターミナル。受け止めが出来てないやるせなさや不安や焦燥をぶつけられるような訪問もあれば、はたまた全く理解が進まずに『え? 具合が悪くなったら救急車呼べば良いんだよね?』というご家族に時間をかけて丁寧に説明をする訪問もあった。両方とも違ったしんどさがあった。
必要があれば管理者さんや他のスタッフに申し送りなどで連絡することは変わらず、そのときに少し雑談もするけれど、でも、些細なモヤモヤを抱えたまま。荷物をおろすタイミングを見失ったまま。あっちの終末、こっちの終着、と渡り歩いていて自分のコーピングが不足する。心の中(こころのなか)にコロナ禍(ころなか)は侵食してて、気が付いたら巧妙に混ざり合う。これがニューノーマルか。ニューノーマルなのか。
直行直帰の弊害で、仕事について看護について、語りらしい語りも、愚痴らしい愚痴も言えないまま、きてしまった。
感情の行き場が外に見出だせなかったから、内燃機関は回り続けた。少し、ガス欠になった。
なかなか言葉にならないでずっと燻ってたものが、わたしの辛さの言語化に伴う管理者さんの配慮だとか、時間的余裕だとかでどうにか解決してきてる。
ターミナルケアに関わる自分のことを少し客観視できるようになったし、傾ける力の抜きかたも身に付けてきた。
終末期ケア専門士なんて大仰な資格とったのに終末期ケアから逃げたいって一瞬でも思った自分が情けなくてすごくすごく辛かったけど、これも自然な心の営みだと思うことにした。
どうにか消化して、ナラティブを語りたいと思う。
まだまだ踏ん張りどきは続いてる。