13.さよならの気配と共に生きてる。
今日、すごく暑かったですね。残暑が厳しいというのか、長い梅雨で本気出してなかった夏が通常運行してるだけなのか、なんなのかわからないけど、とにかく暑かった。
いつもそこそこ混んでる道路だけど普段混まないようなところで、15分とか20分とか足止めされて、えー?まさか1~2km先の交差点の渋滞がここまでつながってる?と思いつつ、なにかと思ったら国道沿いのマックに入りたい渋滞で少し気が抜けた。ハワイアンなメニューをやったり、ヨーグルト味のシェイクとか今あるんだよね。わたしも食べたい。
今日はオンコールでした。
月曜日くらいに、あー、週末のオンコール、予定訪問たくさんで大変だね(そして、どこも振り替えられない)みたいな話をしていました。月曜日には6件の予定だった訪問も、今日蓋を開けてみれば3件になっていました。
(解説するのもあれなので敢えてしませんが、行く必要がなくなったということは要するに“そういう”こと、です)
おかげさまでというべきかなんというべきか、ひととの別れについて考えることが様々あった。
自分の落ち度は恐らくなかったものの、1日2日そこそこ後悔する、自分の対応もだけどその後の顛末も含めて少し胸糞悪いなぁと思える事例があって、先週はずっとそのことを考えていました。
もう少し自分の中で消化したら書きたいと思った。でも(流石に個人情報保護の兼ね合いがあるから、利用者さんと自分の間で起きた出来事はどうにか335°くらい変えて書いてるので)ボカしたらボカしただけなにかを見失うような気がして、そういう点では誰かとのことを書くのって難しいなと思っています。
そもそも出会った時点で、余命もう何ヵ月か、って感じのひとも多い。
ご家族が全く受容できてなくて、『大丈夫か……?ひょっとして永遠に生きると思ってないか……?』って思うことは多々あるけど、自分もエビデンスで裏付けられたアセスメントと希望的観測を分けて考えられてなかったかもしれない。ごっちゃにはなってないけど、どこかてまざり合ってしまっていたような気もしなくもない。
明らかな落ち度があるなら振り返って考えて次に活かしていけるものもあるのかもしれないけど、誰も悪くないケースって、少し苦しい。